プロフィール

みきこ

Author:みきこ
福島県いわき市在住
1977年4月3日生 
おひつじ座
♀ A型 

普通の家庭で育ち、お寺に嫁ぐ。

最近の記事

最近のコメント

カテゴリー

カレンダー

03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

リンク

FC2カウンター

大人たばこ

JavaScriptを有効にしてください。

月別アーカイブ

ブログ内検索

RSSフィード

ブロとも申請フォーム

復興・・・?

先日、熊本の地震から一年を過ぎた日。
たまたま、夫君と市内をうろうろとしていました。用事もあったのだけれど、思いのほか早く済んでしまったので、気の向くまま車を走らせていると、いわき市内の津波被災地域に差し掛かりました。

そこはかつて、みっしりと家が立ち並び、海水浴に訪れた時など、くねくねとした細い道を家の軒先をかすめるように車がすれ違い、見えているのになかなか海に近付かなくて、子供の頃に
「海は逃げないよ!」
と笑われるほど、後部座席でそわそわしていたっけ。
津波の後は、そんな家々を波がさらい、すっかり更地になってしまっていた地域。

久しぶりに立ち寄ったそこは、様子が一変していました。

海側には高くそびえたつ堤防。
道路を挟んだ反対側は盛り土をした住宅造成予定地。
のどかな海岸風景は全く見えなくなっていました。
そびえたつ堤防は、ちょっと前に流行った巨人が出てくる映画のようでした。

これが復興というものなのか。
景色がすっかり変わり、コンクリートしか見えない風景になることが。
今は亡き父と夏休みに海水浴に来た時に車を止めた学校も、掘っ立て小屋みたいな海の家が経っていた砂浜も、いわきの荒海の波しぶきで遠がかすむ海もすっかりなくなってしまいました。

いわき市は『いわき七浜』といって、七つあるという海岸が有名で、景色が良いところだったのに。
こんな景色になってしまうことが復興というのか。

久しぶりに来た海は何だかとても悲しい思いにさせてしまう風景となっていました。

地震ふたたび

きしきしと家が軋む音で目覚めました。
目覚まし時計が鳴るまで、あと一分程度の頃でした。
揺れはあっという間に強くなり、ガタガタと激しく横に揺れ続けました。急に立ち上がるとかえって危ないと思ったので、揺れに身を任せながら薄暗い天井を見つめていました。揺れが収まった頃に起き上がると、さほど長い揺れではなかったことが幸いだったのか、何かが倒れたり割れたりということはなかったのですが、久々の震度5に心が折れました。
沿岸部には津波警報が出ているし、その時点での予想される津波の高さは3m。
5年前の光景を思い出し、血の気が引きました。
これこら暗く鳴る時間に起きた地震ではなく、これから明るくなる時間に起きた地震だったのがまだ助かりました。

一日中、頻繁に余震が続いて、自分が揺れているのか、地面が揺れているのか、感覚がすっかりおかしくなっていて、ひどい乗り物酔いのようで気持ち悪いし、たまたま見たお手洗いの鏡の中の自分は血の気が引いて真っ白な顔色をしていました。
大丈夫だと、自分では思っていたのですが、体は正直ですね。
地震は嫌です。
二、三日は強い地震の恐れがあるとか。

地球にしてみたら、体のどこか、わずかな部分が疼いたくらいのことかもしれないのに、人間はこんなに右往左往して、は我が夫くんの談。
時々そんな事を言って肩の力を抜けさせてくれるのです。

南で震災

こちらで大震災が、いわき市で大規模余震が起きてから5年。まだまだ日本の地面は落ち着いてはくれないようですね。余震、本震ともに夜の出来事でさぞかし驚かれ、怖かったことでしょう。地震だけは心構えをすることなく突然襲いますので。一瞬で愛するお家やご家族を失われた方に対してはかける言葉がありません。
5年前、世界中の方々からいろいろな支援をいただきました。その時、何が一番嬉しかったかを必死に思い出しています。支援物資はたくさん送っていただいても仕分けをしてくださる方がいないと、困っている方の手元にはなかなか届かず、届く頃には時すでに遅し、ということがあります。ご自分で持ち込みされるとすれば、全避難所に届けるとなるとかなり不可能に近く、不公平が生じてしまうかもしれません。人手も振り分けしてくださる方がいないと、かえって、足手まといになってしまいます。また、災害直後に片付けのお手伝いなどは窃盗団と見分けがつかないこともあります。
結局は心を寄せ、手助けが必要な時に必要な手助けが出来るように感覚を研ぎ澄ませているしかないように思います。
一部、自衛隊の炊き出しは受けないと声高に主張している団体もあるようですが、こちらの災害時、温かいご飯やお風呂の提供など、本当にありがたかった。
主義主張は自由ですが、このような時に婦人会に炊き出しは出来ないだろうと思うのですが。それはもう少しあと、住民の皆さんの気持ちが前に向き始めて
「私たちも何かしたい!」
と思い始めてからのとこではないでしょうが。
地震の避難は長期避難になります。ひっきりなしに襲う地震で気持ちも折れます。どうか、皆様お身体とお気持ちをお大事に…

5年経って、今日

5年前のまさに今日、あの恐ろしい地震が起きました。
今日は朝から何となく気持ちが落ち着かず、ただただ、何事もなくあの時間が過ぎ、一日が終われば良いなあ、とそんなことを思いつつ、職場へ。
5年前と同じ繁忙期の真っただ中で、5年前と同じ作業を黙々と繰り返しつつ、あの日のことを思っていました。
あの時刻がやってきて、職場で黙祷があり、外ではサイレンが鳴り、その時間は何事も過ぎ、今日もあと数時間で過ぎようとしています。
あの日から5年。
5年も過ぎたら、もっと、目に見えて何かが進んでもっと良くなっていると思っていました。
でも、そんなことはないですね。
沿岸部はまだまだ更地だらけで、新しい家もちらほら建ってはいるけれど、元のようなのどかは風景ではない。
あちこちに仮設が残り、復興住宅が田んぼや畑をつぶしたところに建っている。
いわきの人と相双の人が仲良くなったようにも見えない。
それでも、都会に住む人たちは「もう復興してるんじゃないの?」という目で見ていると感じる。
夫君は今日のような日に東京に会議に呼び出されてることからもそう思う。
宗教家として本来であるならば。
自分から被災地と呼ばれるところに赴いて、こちらのお寺に来てお経の一つでもあげるのが気持ちのある人のすることなのではないだろうかと思う。
夫君は抗議をしてみるとは言ったけれど。
宗という大きな組織の中で給料取りのサラリーマンになってしまうと、そういう心までも“亡くして”しまうのか。
そのおかげで、私はあの日と同じように家で一人、時間を過ごしている。
あの夜とは違うのは空気に人々の恐怖の色が含まれていないことかな。

朝から特番を流しっぱなしのテレビ。
何となく気持ちが滅入ってくるのは私だけなのだろうか。

慰霊の日に一人で過ごす夜に。

4年後の今日

今年も今日という日がやって来ました。
3月11日。
忘れたい、忘れられない。忘れてはいけない。
毎年、今日という日になるといろいろな思いがふとした時によぎります。
常に考えているというわけではないですが、やはり、町の中の空き地が目に入った時のように何気ない風景を目にした時などに思い出されることがあります。
でも、あの日、地震の被害にはあったけれど、体は大丈夫だったから、今日という日を忙しく過ごすことができています。
知り合いで亡くなった方ももちろん、います。
いわきも津波がやって来ましたから。
そう考えると、申し訳なく感じることもあります。
津波の映像や、壊れた家並みの画像を見ると胸が苦しくなるようになりました。
私はそういうことから無縁な人間だと思っていましたが、心はそうではなかったみたいです。
でも、やはり、被害に遭わなかった地域では忘れられてきているという実感。
神戸の人の焦りや悲しさが本当によくわかります。

職場では今年も黙祷が行われました。
あの日と同じ職場、同じ部屋、同じ席。
あの時の情景がありありと浮かびます。その時に見ていた書類まで思い出すことができます。
何度拾っても転がり落ちてくる赤ボールペンを何度も拾い続けていたことも。

首相のご挨拶は何だか空々しくて何だか遠い国の話のよう。
他の国に戦争に行けるように憲法を変えることよりも、東京電力が私たちの県に作った原発を早く取っ払ってもらいたい。あの施設は雇用も生んだかもしれないけれど、お金で買った雇用は故郷を奪っていった。
そして、各地に散らばる原発はもう、収束の方向へ目を向けて欲しい。地元の活性は違うことから生まれて欲しい。
それだけのことがどうしてあの人には伝わらないのだろう。
心を亡くした人が舵をとる国の行く末。
そして、報道でもだんだんと扱いが小さくなってきていますね。
やって5年目までかな、という気もしています。
こちらの天気予報では毎日『空間放射線量』の測定値や、海水からの放射性物質の濃度なども一緒に放送されます。
こんなことが日常で無くなる日が早く来るといい。

| ホーム |


 BLOG TOP  » NEXT PAGE