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みきこ

Author:みきこ
福島県いわき市在住
1977年4月3日生 
おひつじ座
♀ A型 

普通の家庭で育ち、お寺に嫁ぐ。

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お菓子焼いてます



今月一杯で雇用が満期になる短期のアルバイトさん方。
私が日々お世話になる部署にも一人の方が手伝ってくださっていましたが、
それもこれも今月限りのこと。
お礼と慰労を兼ねてお菓子のおすそわけ。
焼いたのは白いスノーボールと黒いアーモンドチョコクッキー。
出会いと別れ。
何度経験してもこの寂しさと、4月からの静けさには
なかなか慣れません。
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結婚(入籍)記念日

30日は私たち夫婦の記念日。
8年前の今日、夫婦になりました。
去年はお祝いなんて全く出来なかったので、
今年はディナーデートしました
向かった先は以前より気になっていた昭和の香りがするステーキハウス。
場所も路地にあるビルの二階だし、値段も出てないし、
気になりつつもなかなか行く機会がなかったお店。
せっかくなので、これを機に行ってみました。
細い階段を昇ってお店に入ると
少し暗めの照明と古色蒼然とした内装が迎えてくれました。


なんだか懐かしくて落ち着く感じのなか、
少し高めのステーキセットを食べながら過ごす時間。
話す内容は例えその日らしくない本堂の立て替えの話だったとしても(笑)
(私としてはこれからの二人の行く先について相談したかったのだけれど)
それも今は落ち着いて日々を暮らせているという証でしょうから。
いまだに毎日のように地震が続くなか、この瞬間を大事にしたいと思います。
また来年、この日をお祝いできますように。

抹茶シフォン





夫君のリクエストで久々のシフォンケーキを作りました。
最近、ずっと、シフォンスランプに陥っていた私…
一時期、あまりに失敗が続いたもんで、すっかりやる気が失せていたのですが、
ある時、型に残った油分が失敗の原因ではないかと思い付き、
金だわしで型をごしごししたのでした。
すると、何とか形になり、スランプは脱出
でも、震災以降、すっかりお菓子作りから遠のいていたので、うまく出来るか、どきどきでした。
せめて材料だけは良いものを、と、抹茶をフンパツ
おかげで、とっても色鮮やか、香り豊かな抹茶シフォンが出来上がりました
型からもうまくはずせたし、食感もふわふわ。
お料理に使った残りの生クリームを泡立てて添えてみました。
夫君にも大好評。良かった。
また、いろいろ焼いてみようかなあ。

ふとした瞬間に

今年の春は寒いですね。
寝室から見える梅がまだ満開になりません。
普段なら2月の末から咲き始め、今時はもうおしまいのはずなのに・・・
桜のつぼみもまだしっかりと硬いままだし、
春を実感できるのはもう少し先かもしれません。

そうやって、いつもはどうだったかな?と思うとき、
ついつい一年前のことを思い浮かべます。
去年の今日は震災の後、仕事が再開した日でした。
我が家はまだ断水中だったので、職場に行ってまず手を洗いました。
流れる水で爪の中まで。
手を洗う、そのことがあんなに嬉しかったことはありませんでした。
トイレも我慢しなくてもいいし、本当に助かったなあ。

今年よりは暖かかった気もするけれど、夜はやっぱり寒くて、
でも、灯油の配達がなかったからできるだけストーブはつけたくなくて
厚着してコタツだけで耐えていたっけ。
鼻や耳や手が冷たくて参ったなあ。
お風呂にも入れないから何となく青白い顔をして夫婦で夜を過ごしていました。
今日、湯船につかりながら、
毎日空っぽの浴槽を眺めていた日々を思い出しました。

いつになったらこういうことを思い出さなくても生きていけるようになるんだろう。
表面上は以前の生活を取り戻しつつあるように見えるけれど、
きっと、ひとりになった瞬間にいろいろとよみがえっているんだろうと思う。

春彼岸

今年も春彼岸の季節となりました。
いつもなら見頃を過ぎているはずの梅の花がようやく咲き始め、
寒い寒い春彼岸です。
また、入りの日は残念ながらの雨模様。
午後になるにつれて降りが強くなり、
お参りの人も少なく、寂しい入りの日でした。
でも、昨年はお彼岸どころじゃなかったし、避難しているから人もいないしで、
入りの日にお参りに見えた方はわずか3人でしたので、それに比べれば
わずか一年前のことなのだなーと何となくしみじみ。
昨年の今ごろは買い出し情報を得るために地元の災害FMにかじりついていました。
まだまだ断水中だったし。

さて、お話変わって。
本堂がなくなり、更地が増えたお寺ですが、
更地になったぶん、駐車のマナーが悪くなりました。
更地とはいえ、もともとは本堂があった場所。
その場所に無理矢理乗り入れたり、道が広く見えるからと言って他の人の迷惑になる場所に
堂々と停めていくのはやめましょう。

災害は止まず

11日が過ぎてまだ一週間と経っていませんが、
いったい日本はどうしちゃったんでしょう。
地震や地滑り…
災害がおさまらない…
昨日は夫婦揃って地震のニュースを見ているときにテレビから緊急地震速報の音。
一瞬、ニュースなのか、現実の地震速報なのか、区別がつかず、
戸惑ってしまいました。
また、雪解けによる地滑りが止まらない。
自宅がじわじわと壊れていく様子を見守るのは
さぞかしお辛いことと思います。
つい見に行かずにはいられないお気持ちも。
避難所に移動された方もいらして、心からお気の毒にと思います。
どうか止まって、と祈らずにはいられません。

巨大な余震や一年前の震災に誘発される巨大地震が起きる可能性は
まだまだ否定できないと言います。
実際、一年以内に起きると言われた巨大な余震はまだ起きていません。
起きたら起きたで、また耐乏生活を送ることになるのか、と思うと
それはそれでつらいですが、
起きる、起きると言われて怯えていくような、
いわゆる『蛇の生殺し』みたいなのも辛いです。
季節が良くなる頃には地面も山も少し落ち着いて欲しい。
今年こそ花見が出来るように…

フェア

私の中で開催中、「重松清」フェア。
人の心の温かさ、弱さ、そして乗り越えていく強さを書かせたらピカイチ
最近とても好きな作家さんです。

きみのともだち

事故をきっかけに足が不自由になって松葉づえを手放せなくなったきみ。
そして、それ以来、うわべだけの人付き合いを拒むようになったきみ。
腎臓の重い病気を持つ同級生だけがともだち。
そして、きみのクラスメイト達や家族のそれぞれの「ともだち」。
ひとつの章ごとに登場人物が変わり、それぞれの人がそれぞれの主人公。
みんな、心の中に様々な思いがある。
出会いも別れも、それに続く未来も。
最後の章ですべてが結びつく。
つらいことを乗り越えた後の幸せな結末は、さすがです。

かあちゃん

上記と同じ手法で、章ごとに主人公が変わる。
優しくていつも笑顔のかあちゃんが、とうちゃんが事故死したのをきっかけに笑わなくなった。
笑わず、楽しいことすべてに背を向け、働くことだけに人生を費やしたかあちゃん。
そのかあちゃんが心臓の病気で倒れ、田舎に帰った僕。
かあちゃんの人生を考え続け、
とうちゃんの運転する車に同乗して亡くなった方がいたことを知る。
その方の遺族と会った時、その遺族の方の事情がだんだんと明らかになる。
なぜ、その方の孫にあたる少年は不登校になったのか。
不登校に至った事件はなぜ起きたのか。
事件の当事者の少年と家族。
少年を追いやった同級生のこと。
かあちゃんが倒れたことでいろいろなことが転がり始めて
解決はできないけれど、分かりうことも難しいかもしれないけれど、
お互いを理解するきっかけにはなったのかな。
そして、かあちゃんは、誰のかあちゃんもすごい。

とんび

NHKでドラマ化されましたね。
上がかあちゃんの話なら、こっちはとうちゃんの話。
「とんびが鷹を生んだ」のとんびから来ているらしい。
本当の親の愛を知らずに育った男が男手ひとつで一人息子と生きていく話です。
本当は人一倍優しいのに頑固で、素直に言葉にできない。
典型的な昭和のお父さん。
でも、みんなそんな彼の心を知っていて、子育てに口も手も出して
みんなで彼の息子を育てていく。
一人息子は亡くなった奥さんに似て心優しくて、
そんなどうしようもないとうちゃんを理解して成長していく。
子供みたいなとうちゃんと、しっかりした息子。
自分のとうちゃんがこんな人だったら困るな、と思いつつ、
周りの人があったかくて羨ましくなっちゃうようなお話です。

映画を見ましょう

11日が過ぎたから、というわけではないのですが、チョット息抜き。

『天然コケッコー』 出演:夏帆 岡田将生 他

くらもちふさこの漫画を映画化。
まだ幼さが残るくらいに若い夏帆さんと岡田君が新鮮。
単なる田舎の生活を切り取ったロードムービーのような映画で、
特に大きな事件や出来事が起こるわけではなく、淡々とした映画です。
岡田君が転校生としてお母さんの田舎に東京からやってくることが唯一の出来事か。
岡田君演じる大沢君が転校してきた夏から次の年の春までが舞台。
中学生の頃のお話だし、付き合うといっても手をつなぐくらい。
「チュー」した、しないを電話で大騒ぎするほど。
こういう時期、あったなあ。
私が中学生のころは二人で一緒に帰るだけでも騒ぎになるくらいでした(笑)
誘う方も必死でドキドキ、誘われる方も「きゃ~、どうしよう!」って感じ。
今思うとかわいいなあ。
平然と一緒に帰っているイマドキの中学生を見ると、寂しくなっちゃったりして。

本当に美しい映像で、それこそ、飯舘村とか川内村の風景のようで
とても懐かしい感じがします。
海は歩いて行けるほど近くないけれど・・・
もっと前に見ていればあまり深く思わずに流し見してしまったかもしれないけれど、
素朴で美しい風景が福島県の風景と重なってしまい、
今見ると、どうしても少し悲しくなります。
くらもちふさこさん、好きだったな。
原作もちょっと読んでみたいです。

一年を迎えて

とうとうこの日がやってきました。
あの悲しい出来事が起きた日から一年。
まるで、地面もそのことを知っているかのように、夜中に地面がよく揺れました。

各地で供養のための法要や慰霊祭が行われます。
夫が所属する宗の青年会でも『六時礼賛会(ろくじらいさんえ)』
10~11日にかけて行います。
いつもは「家で見守ってるから」などと言いつつ、
あんまりそういう行事には顔を出さない私ですが、
今回はやっぱり、行きたいという思いが強く、
最後の法要だけ参加させていただこうと思っていました。
また、この日に合わせて沖縄や東京からエイサーの演舞を披露しに来てくださるということで、
実家の母を誘って見に行きました。
P3110346_convert_20120311173919.jpg
この寒い中、沖縄から来てくださった久保田青年会の方々に感謝。
実は9月にも来てくださったのですが、
3月11日にも来たいと言ってくださり、演舞披露が実現したとか。
沖縄と違って寒かったでしょうに、薄着で、とてもありがたく思いました。
震災の日からこっち、こういった人の温かさに触れると涙が出てしまう体質になった私。
堪えるのが必死でした。

次に向かうはと六時礼賛会の会場となっているお寺。
たくさんのお坊さんとたくさんのお客様。
若いお坊さん方の読経の声にいろいろな思いが寄せては消えます。
ちょうど地震が起きた時間は法要の真っ最中だったので、
みんなで黙祷はできませんでしたが・・・
とにかく、何事もなく、行事がすんでほっとしました。

あの日を境にいろいろなことが変わりました。
たくさんの別れもありました。
たくさんの優しさも知りました。
でも、あのつらさを少しずつ忘れつつある自分もいて。
そういう自分を責めることもあります。
震災とそれに続く困難を経験した自分ができること。
これからも考え続けていこうと思います。
そして、亡くなられた多くの方々一人一人を忘れません。

今日もまた

全国放送のテレビ番組で今夜も地元の訛りを聞く。
以前はいなか臭くて泥臭くて聞いているだけで恥ずかしい思いがした。
訛ってるね、なんて笑いもした。
だけど、今はどこか悲しい響きに聞こえる。
素朴であたたかい福島の人々。
福島県というだけで、疎まれたりして本当に悲しい。
何だかんだと言っても私が生まれ育ったふるさと。
いつか、また、海沿いの道をドライブしたい。

あの時のことばかり

あと3日。
あと3日すると、あの日から一年が経つ。
テレビの番組表を見れば、震災関連の特番ばかりが目につく。
お昼休み、つかの間のおしゃべりに花を咲かせる私たちの話題も
いつの間にか一年前の話になっている。
ほとんどの人が短期間の人も含め、市外、県外に避難したという。
でも、私たち家族はいわき市から離れなかった。
今でも、震災から10日ばかりの混乱と混とんと静けさを思い出すことがある。
もともと田舎だから、夜は静かだけれど、そういう静けさとは違う。
すべてのものが動きを止めたかのようで、
この世界にいるのは自分たちだけなのではないか、と思わせる静けさ。
留まっていた人も少なからずいたことはいたのだが、
ガソリンが全く手に入らなかったので、無駄に動くことはできなかったし、
電車も止まっていたし(我が家は線路の上にある)、
街灯くらいは点いていたのだろうが、
人が生活する明かりはごく少なく、夜空も黒々として星がよく見えた。
朝もそんなに早い時間ではないのに、しんと静まり返って
自分たちのたてる音以外は聞こえない気がした。
生活するって、実はたくさんの音に囲まれているというのを知った。
そんな話をするとみんな驚く。
避難した人の話を聞くと私が驚く。
今でも久しぶりにあった人と話す話題は震災の時のことが多い。

11日は朝から晩まで震災関連の特番が目白押し。
そして、12日からは何事もなかったのような番組編成。
一つの区切り。
それも大事なのだとは思う。
でも、区切りをつけることで、忘れられてしまうのではないかという恐れ。
何もまだ解決できていない。
がれきの問題。
高台への集団移転、もしくは街の再生。
汚染された土地の除染、または帰還問題。
どうなっていくのか、日々の生活を送りながら心のどこかに引っかかっている。

絆って?

震災よりもうすぐ一年が経とうとしていますね。
テレビでは特番が連日放送されていますが、
それに伴って毎日のように目にする津波の映像で具合が悪くなりそうで、
それだけであっぷあっぷと溺れてしまいそうです。
また、岩手や宮城など、最も被害が大きかったところも
ちっとも復興が進まず、
津波の被害にあったところは更地になっただけ。
新しい町造りの様子も見られず、いったいどうなるんだろうか、と不安な気持ちが増すまま。
がれきもの山もますます山が高くなり、
メタンガスを抜くために太いパイプガ何本も刺さっています。

このがれき。
確かに福島県沿岸部のがれきと言ったら嫌な顔をされるだろうなあと思うし、
それをほかの地域に持って行って処分してくれ、とは言いません。
でも、岩手とか、宮城の内陸部のものだったら
きちんと線量を測定したうえで問題ないとなったものは処理に協力してほしい。
連日のようにがれきの受け入れを表明してくれたところで
住民の大反対にあっているというのを見るたびに本当に悲しくなる。
がれきがなくならなければ前には進めない。

受け入れ試験をして問題がないがれきだけを受け入れます、と説明した県知事に
ある県の住民説明会で女性が言いました。
「子供たちの未来も考えてください!」
と。
でも、私は言いたい。
自分の家だったかもしれないがれきを前に毎日を送る子供たちの未来はあるのかと。
しかも、そのがれきの仮置き場となっているところは
元々はみんなで運動をするためのグラウンドだったり、
みんなで野球をするための野球場だったところが多いのです。
楽しかった思い出の場所に
そういった悲しい思い出が山となっている…
そういったがれきがいつまでも目の前から消えずにずっとあのままだったとしたら、
一歩を踏み出そう、という気持ちになれるのでしょうか。
お互い様、という気持ちのかけらもないその言葉に本当に悲しくなります。
私は心が広くない人間なので、
もし、あの女性がいる地域で同じような災害が起きたら
住民説明会で
「震災がれきを受け入れてくれなかったので、私たちもいやです」
と言ってしまうかもしれません。

昨年を表す漢字は「絆」だったようですが、
絆という字の意味のうちには
「断ち切れない」「つながれる」「しがらみ」という意味もあるのだとか・・・
きれいな上っ面だけの意味だけではないのです。
本心を言えばいやだけれど、
それでみんなが少しでも良い方向に進むことができるのなら・・・
という気持ちも「絆」という漢字を使う以上はあって欲しい。
被災地に暮らす子供たちのためにも。

確かに、震災が起きた当初の国の対応が悪かったから信用できない、という気持ちも
わからなくもないのだけれど。

新しい相棒


しばらく前からなのですが、
我が家のデスクトップPCの調子が悪くなってしまいました。
以前からあまり調子が良くなかったので、いよいよか…というのが正直なところ。
まだそんなに古くないので、直してみよう、という話は出ているのですが、
持ち運びができるようなノート型があってもいいね、と言っていたこともあり、
これを機にノート型PCを購入することにしました

それが上の赤いヤツ
しかも、私が主たるユーザー。
新しいPCはネットも速くて快適ですね。
あちこち設定しなくてはいけないのが億劫ですが…
めんどくさいと思いつつ、夫におしりを叩かれながら設定をしてますが。
これで更新もしやすくなります。

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