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みきこ

Author:みきこ
福島県いわき市在住
1977年4月3日生 
おひつじ座
♀ A型 

普通の家庭で育ち、お寺に嫁ぐ。

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怒涛の一週間

父が亡くなり、早や一週間が過ぎました。
とはいえ、通夜式~告別式が終わったのは、実は昨日です。
亡くなった日に葬祭場に連絡し、お寺に連絡したところ、季節がらか、亡くなる方が非常に多いとのことで、お寺さんも空いてない、斎場も空いていない、はたまた、火葬場もいっぱい。そして、さらに悪いことには日にちが悪い。
何だかんだとうまいこと行かずに、日にちがずれ込み、ようやくすべてが済んだのが昨日、今日でした。

しかし、亡くなって間もなく、父にもまだ体温が残っているうちに、お世話になっていた病院の方から
「葬祭場を決めてください」
「自宅か、葬祭場か、搬入する先を決めてください」
と、次々に言われる・・・
何だかまだ現実味がないうちから事務的なことを次々と言われるとは、仕方のないことわかってはいても、冷たい対応のように感じてしまいますね。母は息を引き取るところから父のそばにいてくれたので、覚悟をしていたことは言え、やっぱり動揺していて、事務的ないろいろをこなすのは少し酷なことに思えました。
しかも、一時間以内に搬出して欲しいとも言われ・・・
こんなものなのでしょうね。
まだ布団の上にいる父を横目に私物をまとめ、何となく追い出されるような気持ちもしつつ、病室を後にしました。

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苦闘の末

先週の木曜日、実父が亡くなりました。
昨年の四月に急に体調が悪くなり、掛かりつけのお医者さんから
「余命一年です」
と言われてから、まさに、一年でした。

先週の木曜日、仕事が終わったタイミングで母より電話があり、父の様子が悪いので早く病院に来るように、と言われました。その電話も、母の背後で何かの機械の発するアラームが鳴り響いているのが聞こえ、急いで夫君に電話をして迎えに来てもらい、急いで父が入院する病院に向かったのですが、その途中にまた母から電話があり…

結局、父の最期には間に合いませんでした。

数年前から、肺の状態が悪くなり、昨年の四月に急に体調が悪化、六月には在宅酸素の導入を始めましたが、十月からの入院生活。年が変わってからは苦しいと言い続け、だんだん身の回りの事が出来なくなり、寝たきり状態から意識不明になり…
苦闘の末に迎えた最期でした。

ようやく父も病気から解放されました。
悲しいとか、寂しいとか、まだそういう感情よりも先に、苦しさから解放されただろうなぁ、お疲れ様、という気持ちの方が多いかな。
それから、この半年間、父のために自分のすべての時間を費やしてくれた母に感謝です。感謝などという言葉ではとてもではないけれど、言い尽くせないですが。


続 終末期を迎えて

静脈カテーテルの処置をしてから、めっきり状態のよくない父。
もともと重度の肺気腫だったので、酸素が欠かせませんでしたが、今は鼻と口をすっぽり覆うタイプのマスクをしていないとすぐに酸欠になってしまうようです。
苦しいからか、顔の筋肉が落ちたからか、常に口を開けっぱなしなので、唇が切れてかわいそうです。
以前はそんなことがなかったのですが、静脈カテーテルの処置をしてから破たんが絡まってしまうようになり、看護師の方が痰の吸引をしてくださるのですが、中には、人とも思わぬ対応をする方もいて・・・
(吸引の処置をするときには家族は病室の外に出されるのですが、父が激しくえずく声が聞こえることがある)
何十人といる患者の一人だし、忙しく他の患者さんのお世話もあるのだから仕方ない、と言い聞かせては見るものの。
いくら気が合わなくて、ここ何年もまともに口も聞かなかったとはいえ、やはり、私にとってはただ一人の父ですから、やはり粗雑にモノのように扱われるととてもつらいです。
親にはいつまでも長生きしてほしいと思うのはこの常ですが、その親のこのような姿を見ていると、
「どうか、この苦しみが長く続くことなく、穏やかに仏様になれますように」
と祈ってしまいますが、そのようなことを祈る自分もまた、いやになりそうです。

終末期を迎えて

眉根を寄せて考えたり決断しなくてはいけないことが、頭の上にどんと乗っかって、それについて考えているうちにお彼岸もあっという間に過ぎ、気付いたら4月。
新年度が始まっていました。

3月の末のこと。
思いつめたような母の声で、仕事が終わった頃合を見計らって電話がかかってきました。
父を診ていただいている病院から、今後の治療に関することについて同意書の提出を求められているが、母ひとりでは決められないとのこと。
どう考えても我が家からその病院までは20分ほどかかるのですが、
「あと10分くらいで来られる?」
などと、母も混乱の極み。
おりしも、我が家も夫君が泊りがけの仕事で不在。
ちょうど退社時間と重なったために混んでしまった病院までの道のりを、止まったり進んだりしながら、心細い思いで運転しました。

病院につくと、父は意識不明の重体状態。
2、3日前から口からの食事がとれなくなっていた父は、このままだと持って4、5日という説明を受けました。
そこで、肩の静脈から高カロリーの輸液を点滴する処置をするかどうかを決めてくれ、と言われたのでした。
もともと、この病院に入院することになった際には
「延命よりも看取りの方向で」
とお願いしたのですが、病院長たる医師は
「ここはホテルではない、病院も経営していかなくてはならないんだ」
と母に言い放った人物。

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