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みきこ

Author:みきこ
福島県いわき市在住
1977年4月3日生 
おひつじ座
♀ A型 

普通の家庭で育ち、お寺に嫁ぐ。

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終末期を迎えて

眉根を寄せて考えたり決断しなくてはいけないことが、頭の上にどんと乗っかって、それについて考えているうちにお彼岸もあっという間に過ぎ、気付いたら4月。
新年度が始まっていました。

3月の末のこと。
思いつめたような母の声で、仕事が終わった頃合を見計らって電話がかかってきました。
父を診ていただいている病院から、今後の治療に関することについて同意書の提出を求められているが、母ひとりでは決められないとのこと。
どう考えても我が家からその病院までは20分ほどかかるのですが、
「あと10分くらいで来られる?」
などと、母も混乱の極み。
おりしも、我が家も夫君が泊りがけの仕事で不在。
ちょうど退社時間と重なったために混んでしまった病院までの道のりを、止まったり進んだりしながら、心細い思いで運転しました。

病院につくと、父は意識不明の重体状態。
2、3日前から口からの食事がとれなくなっていた父は、このままだと持って4、5日という説明を受けました。
そこで、肩の静脈から高カロリーの輸液を点滴する処置をするかどうかを決めてくれ、と言われたのでした。
もともと、この病院に入院することになった際には
「延命よりも看取りの方向で」
とお願いしたのですが、病院長たる医師は
「ここはホテルではない、病院も経営していかなくてはならないんだ」
と母に言い放った人物。 いやなら出て行け、というようなことも言われたらしいです。
(母はあまり詳しく言いたがらないので・・・)
人の足元を見てる、と思いながらも在宅での面倒は見られないのでお願いしていたわけですが、
今回も、そういった処置はしない、と言ったら、追い出されそうな感じもして。
それに、それだけではなく、あとから私たち家族が後悔しないだろうか、と母とも話し合いました。
それって、私たちの自己満足かしらね、と言いながらも、
何もせずに命の炎を消えるのを見届けるべきか、
それとも、ここまで頑張ったのだから、と納得させるような道を取るべきか・・・
辛い選択を迫られたのでした。
結局のところ。静脈カテーテルの処置をお願いしたのですが、処置後の父はとても苦しそうで・・・
本当にこれで良かったのかと、その顔を見るたびに、母も私も自分を責め続けています。
上手にきれいに死ぬということ。
この世の中でこれほど難しいことは無いような気がします。

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コメント

初めまして
1ヶ月程前に肺気腫で父を亡くし、病院の対応にも疑問がありどうしていたら良かったんだろうと悩む中 みきこさんのブログにたどりつきました。みきこさんの生年月日を拝見し、私と同じ年齢で、勝手に同じくらいの年齢のお父様だったんじゃないかな、、、と思ったりしてしまいました。
私の父も重度の肺気腫でしたが、執拗に医師から気管切開や中心静脈を勧められ、、、結果、断りましたが、苦しんでいる姿が頭から離れません。
まだ60代でこれから自分の人生を、という時だったので余計になぜ、こんなに早く、、、と思ってしまいます。
どうすることが一番良かったのか、結果論でしか分からないので本当に難しいですね。

るみ様

初めまして。コメントありがとうございます。
お父様を私の父と同じ病気で亡くされたとのこと。お悔やみ申し上げます。
肺気腫は本当に辛い病気ですね。本人も見ている方も…
私も父の遺影を眺める度に、本当にあの病院にいて良かったのかと自問自答せざるを得ません。体もあまり綺麗にしてもらえず、酸素量も常に限界圧力で流し続け、体力がなく、首が座らなくなってしまった父に中心静脈ー施し…決して仲の良かった父ではありませんでしたけれど、最期の姿を思い浮かべる度に涙が出そうになります。看護師さんや、介護士さん方はとてもよくお世話してくださいましたが…患者を点数稼ぎの対象としてしか見ていなかったあの医師に対しては未だに許せない気持ちでいます。老人医療とはこういうものなのでしょうかね。医師の申し出を断ることが出来たるみさんを尊敬します。私もいまだにも考え続けています。

ありがとうございます。
肺気腫というのは、癌と違って、認知度も低く これといった治療法もないため、医師の言葉を信じるしかない部分もありますよね。でも、私は別の部分でそれを信じたばかりに 今でも後悔をして、どうしていたらよかったんだろうと永遠に考えています。
私は、医師からの提案を断ったのは、ある看護婦さんの一言があったからなんです。最初、喉に違和感を感じ1~2週間の予定で入院し 病状が安定したのですが 退院させてくれず、3ヶ月過ぎた頃 季節の変わり目で再度 体調が崩れた頃に急に退院目的で一泊外泊をさせられ、その後から急激に悪化しました。その後、気管切開、中心静脈の話をされ、初めは、まだ医師を信じている部分もあったのでしようと思っていたのですが、ある看護婦さんが夜 病室で泊まっているとき、「どうされるかご家族で決められましたか?どっちがいいか分かりませんが、することで本人さんはかなり苦しまれることもありますので、ちょっと心配で。余計なこと言ってすみません」と言われ病室を出て行かれ、それで何かはっと我に戻り、今までの経緯に疑問を感じて医師からの提案を断る勇気が出ました。私もみきこさんと同じように父を点数稼ぎとしか見ていないと思われるような事が多々あり、許すことができません。
親の死というのは、ただでさえ、受け入れるのが難しいのにですね。
毎週、七日、七日で和尚様のお経を聞くだび、自分が父の遺影に手を合わせているとう現実をみて、父が死んだということを実感し、涙が止まらなくなってしまいます。今までは、お経を聞いてもなんとも思わなかったんですが、父が亡くなり、お経を唱えることの意味が大きく変わりました。極楽浄土があることを本当に信じ、父が苦しみから解放され祖母たちと幸せに暮らしているだろうか、でも、寂しくないかな。。。と心から思い、願っています。
一方で、時間を戻せるものならば、戻りたい。そんなことは、不可能なことと分かっていながら、毎日、毎日考えてしまいます。

るみ様

確かに、肺気腫という病気が注目され始めたのはここ最近ですよね。そして、肺の一度細胞が壊れてしまった細胞は再生することがないので、本人は空気中にいながら溺れているような感じで本当に苦しいのだと思います。ようやく、重症にならないようにするためにはかなりの運動量としっかりとしたカロリーがある食事が必要だということが分かったということくらいでしょうか。
るみさんはとても良い看護師さんにお会いできてよかったですね。そういった、本当に患者さんや患者の家族に身になって考えることができる看護師さんは本当に少ないと思います。例え、心の中では思っていてくださっていても、お仕事が忙しすぎて、患者さんひとりひとりとお話しする時間も取れない方も多いと思いますし。
母と私が決断し、施していただいた静脈カテーテルを入れた後の父は本当に苦しそうでした。入れる前はほとんど眠ったきりで顔つきも穏やかそうだったのに。もしかしたら、3月末の決断をしなければ、あの穏やかなまま仏様になれたかもしれません。例え、私の誕生日を迎えることができなかったとしても。そして、私は父の担当医という人に会ったのは、霊安室でのみです。連日付き添っていた母でさえ、会ったのは数えるほどで、回診日と言っていたのに来ないことも日常的でした。また、病院をホテルだと思ってもらっては困る、と言い放った言葉は一生忘れることがないでしょう、母も私も。母はカテーテルを入れるために手術室へ連れて行かれる父の姿が目に焼き付いているそうです。首も体も何もかもぐにゃぐにゃになってしまった父の体を数人の看護師さんでストレッチャーに乗せて、特に説明も同意もなく運んで行ったそうです。本当にあの病院にお世話になったことは良かったのか、新盆を迎えた我が家で父の写真を見ながら心が痛みます。
毎日毎日苦しいと言い続けていた父が、病気から解放されたことが唯一の救いです。

そうだったのですね・・・。本当に 本当に お父様も みきこ様ご家族もお辛かったですね・・・。両親の苦しむ姿を見るて、胸が張り裂けるというのは、こういうことだったんだと私も身を持って感じました。
私に声をかけてくださった看護婦さんはいい人ではあったんですが、罪悪感もあってたぶん声をかけられたんだと後で思いました。実は、父の病状が急激に悪化したのは、主治医が「夜ちゃんと眠れるようにお薬を使いましょう。本当に軽い薬ですから安心してください」といわれ その夜 薬を注射されたんですが、その注射を打ったのが その看護婦さんだったんです。私たちは、ただ良くなるための薬だと思って安心していたのですが、その夜中 父が呼吸困難となり 酸素が急激に下がり意識がなくなりました。2日後 どうにか意識は戻りましたが、もう自分では起き上がれなくなり それから二酸化炭素が自分では吐き出せなくなりマスクをつけ、もう二度と自分で起き上がることができなくなりました。注射を打つ前は、自分でご飯を食べたり リハビリもしていたのにです。
たぶん、その看護婦さんは、この薬を打つと次の展開が器官切開をすべき状態になる可能性が高いというのが分かっていて、何も知らない私たちに切開はしないほうがいいと遠まわしに言われたんだと思います。その後 その看護婦さんは担当でもないのにうちの父の病状をしょっちゅう見に来たりしてくれて、最後は、自分から別の病院に異動願いをだされ異動されましたが、別の看護婦さんから「○○さん(看護婦さん)、お父さんのことすごく心配されていたけど、急に異動になってすみませんといってましたよ」といわれ、たぶん、自分が打った注射で父を苦しめたことの罪悪感をもたれていたんだなと思いました。同じ時期にお隣の病室の患者さんの奥様と食堂で一緒になってお互いの父の病状をよく話していたんですが、ある日お隣の患者さんが眠る薬を打たれて 昏睡状態になり家族がいないときにストレッチャーで手術室に連れて行かれ、切開をすることになって 1ヵ月後に亡くなられました。後で その寝れる薬というのを診療明細で確認すると、セレネースという向精神剤で呼吸抑制や副作用が父の急変と似ていて 恐らく主治医は早く切開をするように必要のない薬を打ったんじゃないかと思い、それから主治医の言うことを信じられなくなりました。たぶん こういった経緯がなければ 主治医の言うとおり従っていたと思います。
みきこさんのお父様の主治医もほとんど家族と会って ちゃんと説明することはなかったのですね。私の父の主治医もそうでした。
でも、静脈カテーテルのようにリスクを伴う施術の場合は、ちゃんと説明をし本人や家族の同意がないとできないものなのにですね。父の場合も 本当に命が危ないところにくるまで、しかも 私がそれを言うまで主治医は 一切 説明しませんでした。最後の最後まで また家に帰れるかもと希望を持っていた父を見るたびに本当に申し訳なさと 悔しい思いが湧き上がってきました。
私もずっとあの病院にかかったことが良かったのか毎日考えてしまいます。でも、数年前にかかった別の病院の呼吸器の先生はちゃんと説明をしてくれたので 早く転院させるべきだったと後悔しているというのが本音です。
みきこ様がおっしゃるように苦しみから解放されたことが唯一の救いです。
病院での父の事を誰かに話をしたくなってしまい、長文、乱文となってしまいすみませんでした。

るみ様

お返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。お父様を亡くしてまだお日にちが浅いようですし、思い出して言葉にするということはどんなにお辛かったかと思います。本当にありがとうございます。
私の父にも睡眠導入剤が使われていたようでした。そのことも私たち家族は医師からは何の説明もありませんでした。父は当初、公的な総合病院に入院していましたが、そこは長期入院ができないということで民間の病院に転院したのですが、高齢だった父は、どうも、転院後混乱したらしくて、当初、夜中に「家に帰る」とか「家族はどこだ」などと騒いで夜間スタッフにご迷惑をおかけしたりしていました。その後、睡眠導入剤が処方されていたようなのですが、そのようなものを飲み慣れない父には効き過ぎてしまうらしくて、昼に見舞った際に声をかけても揺さぶっても起きないことがよくありました。母とは「何だかおかしいね、こんなにぐっすり寝てるなんて」と言っていましたが、確証もななく・・・ある時、親切にしてくださっていた看護師さんが「お薬が効いて夜もよく寝てくれるので・・・」というようなことを口にしたことからわかったのです。でも、寝てばかりいるのでリハビリも十分にできず、父はとうとう自分で立つことも体を起こすことも出来なくなってしまいましたよ。おそらく、ずっと処方され続けていたのだと思います。こういう医師にとって騒いだり、わがままを言う患者は黙らせておけ、というだけの存在なのでしょうね。元の元気な姿とまでは言わないけれど、何とか自分のことは他人の手を借りてでも出来るようになってもらって家に帰ってもらおう、とか、そんな気持ちは全くないのでしょう。静脈カテーテルの処置も、たった一度、同意書を書かされたのみで、その後の説明もなく処置されました。
私の父も最初に診察してくださった医師の方はとても良い先生でした。ただ、入院設備もなく、父も在宅でいるのは困難だったために最後までお世話になることができずに残念でした。お通夜にもお悔みに来ていただいたりして。母も私もこの先生に最後まで診てもらいたかったね、というのが本当の思いでしたよ。
私も父のことはあまり人には話せず、後悔の念にとらわれていたのですが、るみさんと話せて本当によかったです。よろしければこれからもお辛い時にはお話をお聞かせくださいね。

こちらこそ お辛い経験を本音で話してくださりありがとうございます。
父を失い 親戚に経緯を話したこともありますが、はやり親戚といえども今は、もう別所帯を持った他人ですから、「あら、大変だったね」とだけでした。やはりこの気持を分かっていただけるのも、同じ経験をした方にしか分からないとつくづく思いました。
こちらこそ お辛い過去をお話いただき、また 私の話を聴いていただき 私の方こそ 本当に嬉しかったです。
みきこさんのお父様も 睡眠導入剤を使用するときちゃんと言われなかったのですね。
後で知ったことですが、睡眠導入剤、向精神薬には 呼吸抑制があり呼吸器疾患患者には慎重に投与する必要があると知り なぜ家族に説明しないまま使ったのか悔やまれます。
私の父は、すぐその日の夜中 急変しましたが、みきこさんのお父様と同じように眠りが深くなり呼びかけても起きない状態になられた患者さんが何人かいらっしゃいました。
また、肺気腫は、食も細い方が多く 筋肉も衰えやすいので寝たきりになることを予防していかないといけないのに、全く逆の治療をされることにとても疑問を感じます。
みきこさんが「こういう医師にとって騒いだり、わがままを言う患者は黙らせておけ、というだけの存在なのでしょうね」とおっしゃるように それと全く同じ状態の病院でした。住んでいる県は全く違うのですが、同じ病院じゃないかと思うほど医師の対応が同じように思えました。他にも似たような話を同じ病棟の患者さん家族から聴いたことがあるのですが、本当に呼吸器疾患は癌と違い特効薬もないですし、不可逆的な病気なので医師もやったって遅かれ早かれ結果は同じで、自分の研究には何の役にも立たないと思っている部分が多いような気がしました。もちろん、いい先生もいますが、呼吸器はなおざりにされている部分が特に多い気がします。
もう一度、時間を巻き戻してあの時をやり直したいと思ってばかりですが、それができないのが人生なのか・・・と色々 考えてしまいます。
暗い話になってしまいましたが、こちらこそ、今後 どうぞ宜しくお願いいたします。

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